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東京地方裁判所 平成4年(刑わ)186号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

被告人から九〇〇〇万円を追徴する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

第一  被告人は、衆議院議員であったものであり、平成元年八月一〇日から平成二年二月二八日までの間、国務大臣北海道開発庁長官として、北海道総合開発計画についての調査、立案、同計画に基づく事業の実施に関する事務の調整、推進、北海道開発予算の一括要求、北海道東北開発公庫に対する指導、監督等の事務を所掌する北海道開発庁の事務を統括するなどの職務に従事していた。この職務に従事中の平成元年八月中旬ころから同月下旬ころまでの間、数回にわたり、東京都千代田区永田町〈番地略〉の料亭「まん賀ん」等において、北海道上磯郡上磯町でリゾート総合開発事業を計画していた鉄骨の製造、各種鋼材の加工販売、建築工事の請負、不動産の売買、ゴルフ場、ホテルの経営等を目的とする株式会社共和(以下「共和」という。)の取締役副社長B(以下「B」という。)から、第五期北海道総合開発計画に基づく道路整備事業として平成二年度予算による事業化が見込まれていた高規格幹線道路の函館・江差自動車道について、その上磯町周辺の新設予定箇所に関する情報を内報してほしいとの請託を受けた。そして、平成元年八月下旬ころ、「まん賀ん」において、その報酬として供与されることを知りながら、Bから現金二〇〇〇万円の供与を受け、自己の職務に関し請託を受けて収賄した。

第二  被告人は、北海道開発庁長官として前記職務に従事していたところ、平成元年八月中旬ころから平成二年一月中旬ころまでの間、数回にわたり、東京都千代田区霞が関〈番地略〉の北海道開発庁長官室、前記「まん賀ん」等において、Bから、第一と同様の請託のほか、第五期北海道総合開発計画に含まれ、札幌市と札幌商工会議所等が同市内に建設を計画していた全天候型スポーツ施設(いわゆるホワイトドーム)の建設事業について、ドームの建設予定場所等に関する情報を内報すること、その事業主体に共和の取引先である株式会社第一コーポレーションが参加でき、その鉄骨関連工事を共和が受注できるように札幌市、札幌商工会議所等に働き掛けること、共和が上磯町におけるリゾート総合開発事業に関して北海道東北開発公庫に融資申請をした際には便宜な取り計らいが受けられるように同公庫に働き掛けることの請託を受けた。そして、その報酬として供与されることを知りながら、次のとおり収賄した。

一  別表記載のとおり、平成元年一〇月下旬ころから平成二年一月中旬ころまでの間、五回にわたり、「まん賀ん」ほか三箇所において、Bから現金合計六〇〇〇万円の供与を受け、自己の職務に関して請託を受けて収賄した。

二  平成二年一月下旬ころ、東京都千代田区永田町〈番地略〉衆議院第一議員会館五〇五号室のA事務所において、Bに依頼されただけで事情を知らない共和常務取締役Cから、被告人の秘書で事情を知らないDを介して現金一〇〇〇万円の供与を受け、自己の職務に関して請託を受けて収賄した。

(証拠)〈省略〉

(主な争点に対する判断)

第一  北海道開発庁長官の職務権限について

一  弁護人の主張の要旨

弁護人は、北海道開発庁長官である被告人には、国以外の民間企業等が事業主体となるホワイトドーム建設事業の推進等について職務権限がなく、また、北海道開発庁長官の北海道東北開発公庫に対する監督命令権等は、同公庫の個別の融資事務には及ばないから、同公庫の融資あっ旋についても職務権限がないと主張する。

二  北海道開発庁の基本的な所掌事務等について

北海道開発法によれば、国は、北海道における土地、水面等の資源を総合的に開発するために北海道総合開発計画を樹立するものとされているが(二条)、総理府の外局(四条一項)である北海道開発庁は、その開発計画について調査、立案し、開発計画に基づく事業の実施に関する事務の調整、推進にあたることを基本的な所掌事務としている(五条一項一号)。これを、北海道における道路建設、農用地開発、港湾建設等の公共事業費を支出する国の直轄事業についてみると、建設省、農林水産省、運輸省の各大臣が、それぞれの所掌事務に応じて北海道開発局長を指揮監督(一〇条)することにより事業を実施するのに対し、北海道開発庁は、このような縦割りの行政の枠を超えて、これらの事業を北海道の総合的な開発(一条)という見地から開発計画として統一的に調査立案し、各行政機関が実施する事務を相互に調整推進することを責務としている。すなわち、北海道開発庁は、前記各省庁のような事業を実施する官庁ではなく、事業を企画立案し、その実施に関して調整推進にあたる官庁として位置付けることができる。北海道開発庁の調整推進権限をより実効性のあるものとするために、閣議決定(昭和二五年二月一〇日決定「北海道開発事業費の取扱いについて」、同年七月二一日決定「昭和二六年度予算編成に関する細目」)により、開発計画に基づく各種の公共事業予算を北海道開発庁予算として一括して要求、計上する権限を与えられている。これにより、北海道開発庁は、予算に裏打ちされた開発計画を企画立案することが可能となる一方、関係省庁は、北海道開発庁の調整に従って、予算を自省の所管に移し替え、又は繰り入れた上、支出することになる。そして、北海道開発庁の長である北海道開発庁長官は、国務大臣をもって充てるものとされ(四条二項)、同庁の前記のような所掌事務を統括するなどの職務権限を持つのである(国家行政組織法一〇条)。

三  ホワイトドーム建設事業について

ホワイトドーム建設事業について、次の事実が証拠上明らかである。すなわち、札幌市においては、昭和六二年ころからホワイトドームを建設する構想があり、昭和六三年三月に同市が策定した第三次札幌市長期総合計画にもその旨が盛り込まれていた。この構想は、当初から民間企業の参加を得て建設を実現しようとするものであったが、同年一二月下旬には、その早期建設を目的として、会長を札幌商工会議所会頭とし、顧問を北海道開発局長、北海道知事、札幌市長等、理事を札幌市企画調整局長等とするホワイトドーム推進会議が設立された。そして、同会議において、専門委員会による調査研究が重ねられた結果、平成元年五月に中間報告書が、平成二年四月に提案書がそれぞれ取りまとめられ、札幌市、北海道等に提出された。その提案書によれば、ホワイトドーム建設事業は、札幌市、北海道、北海道東北開発公庫、民間企業が出資して設立する第三セクターを事業主体として実施するものとされた。

ホワイトドーム建設事業の本件当時までの推移は以上のとおりであるが、昭和六三年六月一四日に閣議決定された第五期北海道総合開発計画(平成四年押第八五四号の二)には、ホワイトドーム建設について、次のような記述が見られる。まず、「Ⅶ 主要施策の推進方針」の章において、「3 安全でゆとりのある地域社会を形成する施策の推進」という見出しの下に、「(2) 機能的でゆとりのある都市基盤」「1) 機能的な都市基盤の整備」「② 都市の活性化を促す拠点の整備」との小見出しがあり、そこに「札幌市等において大規模な全天候型施設の建設を検討するなど、スポーツやレクリエーションなどの都市の活性化に資する多様なイベントの開催に通年利用できる拠点施設を整備する。これらの都市機能の整備に当たっては、民間活力を活用し、計画的に進める。」と記述されている。さらに、「(5) 豊かさをはぐくむ教育・文化、社会基盤」「2) 体験学習、スポーツ等の場の整備」との小見出しの下に「北海道の自然特性に対応し、多目的に利用できる全天候型スポーツ施設の建設やスポーツ・トレーニング施設の設備を検討する。」とされている。そして、「Ⅷ 地域の新たな発展方向」の章において、「1 我が国の北の拠点を形成する道央地域」「(3) 大規模リゾート基地等の形成」として「札幌においては、多目的に利用できる全天候型スポーツ施設の建設の検討を進める。」と記述されている。

四  ホワイトドーム建設事業の推進と北海道開発庁の所掌事務との関係について

ホワイトドーム建設事業は、第三セクターにより実施することが予定されており、国が主体となって実施する事業ではないが、第五期北海道総合開発計画に含まれる事業であり、前記のとおり、同計画において、国は、その建設が北海道の総合的な開発に資するものとして、これを積極的に推進することを繰り返し宣明している。同計画は、「Ⅴ 計画の推進方策」の章において、「道内の地方公共団体や民間において発想されるプロジェクトについては、適切な支援体制を整備し、その推進を図る。さらに、地域開発金融等の充実に努めて民間事業者の能力の十分な活用を図る。」として、国以外の事業主体が実施する事業についても、積極的に推進する基本的姿勢を示しており、ホワイトドーム建設事業の推進は、まさにこれを具体化したものということができる。このように、ホワイトドーム建設は、閣議決定された北海道総合開発計画に取り上げられ、その建設を推進することが国の北海道における主要施策の一つとして位置付けられているのであるから、北海道開発法五条一項一号にいう開発計画に基づく事業であり、その推進は、北海道開発庁の所掌事務の範囲内にあると認めるのが相当である。

ところで、弁護人は、北海道開発法二条一項により国が実施するものとされている開発計画に基づく事業と、同法五条一項一号により北海道開発庁が調整推進するものとされている開発計画に基づく事業とは同じであるべきであるから、北海道開発庁の調整推進の対象となるべき事業は、国が実施主体となる事業に限られ、第三セクターによる実施が予定されていたホワイトドーム建設事業はこれに該当せず、その事務の調整推進は北海道開発庁の所掌事務の範囲内にはないと主張する。しかし、北海道開発法二条一項は、開発計画に基づく事業を第一次的に国が実施すべきものとして国の責務を明らかにした規定であって、第三セクター等が実施する事業を開発計画に基づく事業から排斥する趣旨のものではないと解するのが相当である。なるほど、北海道開発法の目的は、北海道に未開発の資源が多く残されていることにかんがみ、国が予算を投入してその開発を図るというものであり、とりわけまだ民間の力が十分でなかった戦後初期の時点においては、開発の重点が産業基盤の整備を目的とする国の公共事業に置かれたことは必然的であったということができよう。そして、北海道開発庁が所掌する開発計画に基づく事業の実施に関する事務の調整推進も、主としてこのような公共事業を実施する行政機関相互の調整と公共事業の推進を念頭に置くものであったことは否定できないように思われる。しかし、そのようにして整備された産業基盤の上に民間企業等が資本や技術を充実させ、北海道の開発を国とともに支えるだけの実力を蓄積するに至った経緯にかんがみると、そのような民間の力を活用してこそ真に地域の総合的な開発が可能となると考えられるようになったことは自然の成り行きといわなければならない。第五期北海道総合開発計画において民間プロジェクトの推進がうたわれているのは、このような時代の要請を踏まえたものであり、前北海道開発庁総務課長天本俊正の証言にみられるように、北海道開発庁が開発計画に取り上げられた民間事業の推進を自らの所掌事務としてとらえていることは、北海道の総合的な開発を企画する責務のある同庁としては当然のことであり、北海道開発法もこのような事業の推進を同庁の所掌事務から排除する趣旨であるとは考えられない。弁護人が指摘するように、北海道開発法の立法の際の会議録(参議院内閣委員会会議録第一五号、平成四年押第八五四号の八)中には、北海道開発庁の所掌事務は、行政機関が実施する事業について、行政機関相互の事務の調整推進を図ることにあるとする立案関係者の説明が記録されているが、それは、一般的、典型的に想定される場合について説明したと理解すべきものであり、民間の実施する事業の調整推進を特に除外する趣旨のものとは解されない。そのことは、北海道開発局の設置を目的とする後の北海道開発法改正の審議(参議院内閣等連合委員会会議録第二号、内閣委員会会議録第三四号、甲書二〇〇)の際に、政府委員らが、北海道開発庁においては民間が主体となる事業についても調整推進する旨を明言していることに照らしても明らかである。このように民間が実施する事業について北海道開発庁の調整推進権限が及ぶと解しても、民間企業等に対して特段の制約を課するわけではないから、民間の事業に対する不当な干渉というには当たらない。

以上のとおり、ホワイトドーム建設事業の推進は、北海道開発庁の所掌事務の範囲内にあり、その事務を統括する北海道開発庁長官の職務権限の及ぶところと解するのが相当である。

五  ホワイトドームの建設予定場所に関する情報の入手、出資企業と関連工事施工業者の紹介について

北海道開発庁は、開発計画についての調査立案、開発計画に基づく事業の実施に関する事務の調整推進等の所掌事務を処理するため、事業を実施する北海道開発局、関係地方公共団体、民間企業等から事業計画の詳細や進行状況など事業の実施に関する種々の情報の提供を受ける一般的な権限を持つということができる。ホワイトドーム建設事業については、ドーム周辺の道路交通基盤等の整備が不可欠であり、同事業を推進するためには、ホワイトドーム建設予定場所を構想段階からいち早く知る必要があることは明らかである。したがって、北海道開発庁は、札幌市、札幌商工会議所、ホワイトドーム推進会議等から、建設予定場所、時期等に関する情報を入手する権限を持つと解される。また、同様にホワイトドーム建設事業を推進する権限に基づき、実施主体として予定された第三セクターに出資する企業の募集に関して、適当な企業を札幌市等に紹介するなどの指導、助言を行ったり、特殊な専門知識、技術を要するドームやその関連工事に関して、その工事にふさわしい施工業者をあっ旋紹介することも、北海道開発庁の一般的な権限の範囲内にあるものと認めるのが相当である。この点について、弁護人は、出資企業や関連工事施工業者の選定は第三セクターのみが自由になし得るところであり、そのようなあっ旋紹介が北海道開発庁の権限内にあるとすれば、特定の企業や業者を望ましくないとして排除することも可能となり、不合理であると主張する。しかし、賄賂罪の成立との関係で北海道開発庁長官の職務権限の有無を判断する際には、前記のようなあっ旋紹介がその一般的な職務権限に含まれるか否かが問題であり、賄賂罪の成立を認めるためにはその点が肯定されることをもって足りる。すなわち、それが裁量権の行使として適正ではなく、裁量権の濫用であったり、裁量の範囲を逸脱することは、賄賂罪の成否に影響を及ぼすものとはいえない。

以上のとおり、被告人は、北海道開発庁の事務を統括する北海道開発庁長官として、ホワイトドーム建設予定場所に関する情報を入手し、第三セクターに出資する企業やドーム関連工事を施工する業者を紹介する職務権限を有していたと認めることができる。

六  北海道東北開発公庫の融資に関する北海道開発庁長官の職務権限について

北海道東北開発公庫(以下「北東公庫」という。)は、北海道東北開発公庫法(以下「北東公庫法」という。)により設置された政府の全額出資(同法四条一項)に係る法人(二条)であり、北海道又は東北地方において一定の事業を営む者に対して設備取得等の資金を融資するなどの業務(一九条)を行っている。その主務大臣は、内閣総理大臣と大蔵大臣であるが(三六条)、北海道開発法五条一項二号により、北海道開発庁は、東北地方に関する業務分を除き、北東公庫法に基づく内閣総理大臣の権限の行使を補佐することとされている。さらに、この補佐権限について、総理府通知(昭和四八年七月七日付け総総第三四二号)により、北海道開発庁長官が、主務大臣としての内閣総理大臣の権限のうち、役員の任命(一〇条)、解任(三四条)を除くその他の権限、すなわち、北東公庫法三三条、三五条等の定める監督命令、報告聴取、立入検査等の権限の行使について専決処理することとされている。したがって、北海道開発庁長官は、北東公庫に対し、その業務全般につき必要に応じて報告を求めたり、立入検査をする権限を持つのである。そして、前北海道開発庁経済課長大久保庄三の証言等の前掲証拠によれば、北海道開発庁は、実務上、北東公庫に毎月新規の融資等の内訳を書面で報告させるほか、融資先の業務内容等に関する資料を提出させるなどして監督権限を行使していることが認められる。この監督権限は、北東公庫の融資等の業務が一般的な準則に沿って適切に行われているかについて行使されるものであり、特段の必要性もないのに個別の融資についてまで行使されるものではないが、前記天本証言がいうように、北東公庫の融資が反社会的なものである疑いがあるとか、関係法規に違反する疑いがあるような場合には、その監督権限は個別の融資にも及ぶものと考えられる。また、北海道開発庁が開発計画に含まれる民間の事業を推進する権限を持つことは前記のとおりであり、このような事業に関し、北海道開発庁がその監督権限を背景として、北東公庫に対して融資するよう指導することは、民間の諸活動に対する推進の有力な方策の一つとして、北海道開発庁の一般的な権限の範囲内に属するということができる。このような点を総合して判断すると、北海道開発庁長官は、北東公庫の個別の融資業務に関しても、指導助言をする職務権限があると認めるのが相当である。この点について、弁護人は、主務大臣は独立法人である公企業の自主性に干渉してはならないから、北海道開発庁長官が北東公庫に対して持つ監督権限は、北東公庫の日常業務には及ばないと解すべきであり、北海道開発庁長官は北東公庫の個別の融資について職務権限を持たないと主張する。なるほど、北海道開発庁長官が、北東公庫の個別の融資について日常的に指図することは適当ではなく、関係法規もそれを容認するものとは考えられないが、前記のような限度においては、個別の融資に及ぶものと解するのが相当である。

以上のとおり、被告人が上磯町リゾート総合開発事業についての共和の融資申請に対して、便宜な取り計らいをするよう北東公庫を指導助言することは、北海道開発庁長官の職務権限に属する行為と認めることができる。

七  結論

北海道開発庁長官である被告人には、ホワイトドームの建設予定場所に関する情報の入手等、ホワイトドームの事業主体に出資する企業と関連工事の施工業者のあっ旋紹介、北東公庫の融資について、職務権限があるものと認めることができる。したがって、弁護人の主張は理由がない。

第二  請託の有無について

一  弁護人の主張の要旨等

弁護人は、被告人は、高規格幹線道路である函館、江差自動車道の道路新設予定箇所を内報すること(以下「高規格道路の件」という。)、ホワイトドームについて、建設予定場所等を内報するほか、共和の取引先を事業に参加させ、共和が鉄骨関連工事を受注できるように札幌市等に働き掛けをすること(以下「ホワイトドームの件」という。)、共和が計画中の上磯町リゾート総合開発事業について北東公庫に対する融資を申請した際には便宜を図ること(以下「北東公庫の件」という。)のいずれについても、Bから請託を受けたことはないと主張する。そして、被告人も捜査段階から一貫してこれに沿う供述をしている。

二  Bが共和を経営した状況、被告人がBと知り合った経緯等について

まず、〈証拠略〉の前掲証拠を総合すれば、Bが共和を経営していた状況、被告人がBと知り合った経緯等について、次の事実が認められる。

1 Bは、昭和四三年秋ころ実父らが経営していた共和に入社して、昭和四五、六年ころ同社の実質上の経営者となった。昭和五六、七年ころには従前の給食作業の請負等の業務から鉄骨加工組立工事業の分野に転進することを企図し、東京都渋谷区内に東京支店を設置してその支店長となり、下請を使用して建築物の鉄骨関連工事業に従事するようになった。昭和五九年ころ藤田商事株式会社から事業協力の合意を取り付けた上、同社内に設置された鉄鋼プロジェクト室長の肩書を得て、藤田商事の信用のもとに鉄骨工事等の受注を拡大させた。その後、福岡県内の鉄骨工場を買収したり、多数の下請け工場を傘下に従えたりして生産力を増加させ、三井造船株式会社との間で同社プラント事業推進室に社員を派遣するなどの事業協力関係を結び、鉄骨プラント関係の工事を受注するなど事業を一層拡大させた。昭和六二年五月ころゴルフ場等大型の不動産開発事業に本格的に関与するようになったが、事業資金の調達を図るため、同年六月ころから丸紅鉄鋼プロジェクト営業部長ら丸紅関係者の協力により実在しない鉄骨工事を仮装して、丸紅からいわゆる商社金融を得るなどしていた。昭和六三年八月ころ丸紅上層部の指示により丸紅側から取引中止の通知を受けたものの、その後も引き続き前記丸紅関係者の協力を得て、丸紅の正規の注文書用紙を使用し架空の注文書を作成するなどして詐欺的な取引を継続していた。

2 被告人は、平成元年二月上旬ころ、後援者である株式会社五大代表取締役Eの紹介により、共和代表取締役F、取締役開発部長(後に専務取締役)G、東京支店副支店長(後に常務取締役)Hと知り合い、同月中旬ころGを介してBと知り合った。そして、同年四月下旬ころ前記料亭「まん賀ん」においてBと宴席を共にした後、同年五月ころBに依頼してHを自己の私設秘書とし、「まん賀ん」のほか、港区赤坂の料亭「千代新」等において宴席を重ねて酒食のもてなしを受けるなどBとの親交を深めるようになった。

3 被告人は、同年六月上旬ころ、丸紅との前記取引により生じた債務の返済に行き詰まり、詐欺的な取引が発覚しそうになって窮地に陥ったBから、丸紅上層部との間を調整するように依頼を受け、同僚のI代議士を紹介したところ、同代議士の尽力により同年下旬ころには丸紅上層部との間で円満な解決を図る基本的な合意に達した。そこで、I代議士を紹介した謝礼としてBから合計五〇〇〇万円を受領することとし、同年七月上旬ころ自己分としてBから現金三〇〇〇万円を受け取った。このようにして、被告人は、Bを有力な資金提供者とする一方、共和の事業に深いかかわりを持つようになった。

三  上磯町リゾート総合開発事業、函館・江差自動車道等について

共和は前記のとおり大型の不動産開発事業に進出していたのであるが、〈証拠略〉によれば、共和が上磯町リゾート総合開発事業に着手した経緯と本件当時までの推移は、以下のとおりである。

Bは、昭和六三年九月ころ北海道内で不動産開発事業を展開することとして共和札幌営業所を開設し、Jを所長に充てた。平成元年六月一四日、Jが収集した情報に基づきその案内で函館市近郊の上磯郡上磯町所在の島崎藤村ゆかりの庭園である寿楽園を視察し、眼下に津軽海峡をながめ背後にゆるやかな丘陵を控える寿楽園の景観と立地に満足して、リゾート開発の適地であるとの考えを固めた。そこで、寿楽園を購入して復元し、その周辺土地をも買収してゴルフ場、ホテル等を建設するという上磯町リゾート総合開発事業に着手することとし、同月下旬ころ寿楽園の所有者である奏愛林合名会社との間で寿楽園を購入する覚書を取り交わし、道知事の国土利用計画法上の不勧告通知を経て、同年九月寿楽園とその周辺山林約四万坪を代金一億二〇〇〇万円で購入する売買契約を締結した。

ところで、Bは、寿楽園を視察した日に上磯町役場に海老澤順三町長を訪ねて懇談したが、その際、寿楽園の後背地を高速道路が通る予定であるとの情報を得た。その高速道路とは、昭和六二年六月三〇日閣議決定された第四次全国総合開発計画で整備の必要性が指摘された高規格幹線道路網の一部であり、同日建設大臣により指定された函館・江差自動車道(自動車専用道路)であって、その整備の推進は、第五期北海道総合開発計画にもうたわれていた。その事業を実施する北海道開発局函館開発建設部は、昭和六三年七月ころ暫定路線図を基に関係自治体との路線協議を開始し、函館・茂辺地間については、平成元年三月末に予定ルートを内定し、環境アセスメントの手続を経て、同年八月末には平成二年度予算の概算要求に盛り込まれ、その後事業化の段階にまで達した。しかし、茂辺地・江差間については、寿楽園の西方に位置する上磯町内のトラピスト修道院敷地付近の路線について、同修道院との協議が整わないため、関係自治体との協議は継続されたものの、本件当時、予定ルートの内定にまでは至っていなかった。

四  請託に関するB証言について

前記上磯町リゾート総合開発事業のほか、共和が北海道において実施しようとした事業には、ホワイトドーム建設事業等があるが、このような共和の北海道における事業展開を背景として、Bは、高規格道路、ホワイトドーム、北東公庫の件について、次のとおり被告人に請託したと証言している。

1 前記のとおり平成元年六月上磯町役場において高速道路が通る予定であると聞いたので、道路の通過予定地が事前に分かれば、その土地を買収して、土地を担保にノンバンク等から多額の融資を受けたり、国に転売して多額の差益を得たりすることができるし、ゴルフ場の設計の上でも参考になると考えた。そこで、地元選出の代議士である被告人に協力を依頼することとし、まず、帰京直後、A事務所において、寿楽園を復元する計画を伝えて力添えを依頼し、次いで、同年七月初旬ころ、同事務所において、被告人から、前記道路がより正確には高規格道路であること、上磯町の中までの路線は決まっているが、寿楽園周辺の通過場所は未定であることなどの説明を受けた際、通過場所が分かれば買い占めにかかるので、決まり次第調査して内々に教えてほしいと頼んだ。被告人が北海道開発庁長官に就任した翌日の同年八月一一日ころ、「千代新」において大臣就任祝いの宴席を持ったが、その席で、被告人に「長官、共和は北海道で手掛けているのは寿楽園一個しかないんですよ。寿楽園の裏を通る高規格道路の通過ルートや正確な通過場所等についてこっそり教えてくださいよ。」などと頼むと、被告人は、「分かった、分かった、間違いなくやる。」などと答えた。その後、約束を確実にするには現金を渡すのが効果的であると考え、同月下旬ころ、「まん賀ん」において、同席したHに席を外させた上、「長官、今日は僕からのお祝いを持ってきているから。中身はれんが二個ですよ。」「私の依頼していることについては間違いなくやってくれるんですね。必ず約束は守ってくれるんですね。」などと念を押して、用意した現金二〇〇〇万円を手渡した。道路の通過場所が分かれば教えると言って現金を受け取った被告人に対し、さらに、「分かったら教えるはないでしょう。調査予算がついているならば、その調査に基づく成果表やその路線図等は、もう手元にあるんでしょう。」などと釘を挿すと、被告人は、「すまん、すまん、必ず調べて渡すから。」などと答えて申出を了承した。その後、「まん賀ん」において、被告人に寿楽園の復元やホテル建設の事業に北東公庫の融資が受けられるかどうかを尋ねたが、被告人が融資の対象になると答えたので、融資申請の際の力添えを依頼したところ、被告人は、「北海道東北開発公庫は開発庁の中にある身内のようなものだから、おれに任せておけ。」と快諾した。その場で、高規格道路の通過場所について重ねて情報提供を依頼した。

2 平成元年九月ころ、「まん賀ん」における宴席で、被告人から初めて札幌市にホワイトドーム建設計画があることを聞いたが、調査の結果、第三セクター方式で建設する計画が進行中であることなどを知り、共和の融資元である第一コーポレーションに第三セクターの出資企業として参加してもらい、その影響力により共和が鉄骨関連工事を受注できるようにするとともに、建設予定地やその周辺の土地を買収して利益を得ることを計画した。そこで、前記Gを介して第一コーポレーション側に計画を伝えて協力を求め、その承諾を得た後の同年一〇月上旬ころ、港区赤坂の料亭「川崎」において、被告人と第一コーポレーションの社長Kらを引き合わせた。そして、同月中旬ころ、北海道開発庁長官室において、被告人に対し、札幌市等に働き掛けて第一コーポレーションが第三セクターの出資企業として参加し、共和が鉄骨関連工事を受注できるようにしてほしい、ホワイトドーム建設予定地、建設時期等を内々に調べて教えてほしいなどと依頼した。これに対して、被告人は、インフラ整備予算を付けるなどして北海道開発庁としてもホワイトドーム建設を積極的に推進していく、建設予定地、時期を調べて分かれば教える、第三セクターへの参加や鉄骨関連工事の受注についてはちゃんと話をつけるなどと請け合った。次いで、そのころ、「川崎」において、被告人を交えて第一コーポレーション常務取締役L、同Mらと協議したが、その際、被告人に対し、ホワイトドームの建設場所、時期、規模等の入った計画書を内々で出してほしいなどと要求して情報提供を重ねて依頼した。さらに、同月下旬ころ、「まん賀ん」において、被告人に対し、上磯町リゾート総合開発事業全体についての融資を申請した際にはできる限り早く実行してくれるよう北東公庫に対して指示をしてほしいとの依頼をし、被告人の快諾を得た。その折、被告人から、選挙の際の借金の返済や事務所の維持費等に困っている状況を訴えられ、「資金の援助をしてくれないか。おれも政治生命をかけて君を応援する。共和が北海道で手掛けている開発の件に関する依頼事については、すべて君の思うようにやる。」などと要請されたため、「分かりました。長官のほうで、これまで私のお願いしていることを共和のためにきちんとやってくれるのなら、可能な限りの援助をします。」と返答したところ、被告人は、その言葉に感謝して、共和のために尽くすことを約束した。そこで、同月末ころ、とりあえず五〇〇万円を用立てたが、その数日後、キャピトル東急ホテルの一室で経費等の明細表等を渡され、一一月中に二五〇〇万円を、一二月と一月に一五〇〇万円ずつをそれぞれ援助するよう要請されて承諾した。その際、「共和の苦しい資金繰りの中からやるんですから、長官のほうも、これまで私がお願いしていることについては共和のためにきちんとやってくださいよ。」などと言うと、被告人は、「分かった、分かった、ちゃんとやる。」などと答えた。同年一二月中旬ころ被告人に約束の一五〇〇万円を共和事務所で渡した際、「共和の苦しい資金繰りの中からやるんですから、私のお願いしていることについては共和のためにちゃんとやってくださいよ。」と念を押したところ、被告人は、「上磯は道路の件やったなあ。あれは調べているが、まだ分からんので、分かったら知らせる。」とか、北東公庫の件について、「公庫の総裁や副総裁はよく知っているので、いつでもちゃんとやってやる。」などと答えた。さらに、平成二年一月二〇日ころ、函館市内の共和札幌営業所函館分室の開設披露パーティーの折に被告人に約束の一五〇〇万円を渡したが、その際、高規格道路とホワイトドームの件について念を押したところ、被告人は「分かった、分かった、ちゃんとやるから。」と言って現金を受領した。

3 被告人から、平成元年夏ころ東京都渋谷区内にある被告人の妻名義のマンションの内装工事のあっ旋等を依頼されたが、同年一〇月中旬ころ、被告人から電話で「マンションの工事が遅れているらしいが、Bさんに頼まれたことは精一杯やる。だから、私から頼んだこともちゃんとやってよ。」などと言われ、工事が進ちょくしないことに対する苦情を受けた。工事が遅れたのは被告人の秘書らに責任があるので少し腹立たしく思ったが、被告人が高規格道路の件などかねてからの約束を実行することを確約したと思い、その申出を了承した。

請託に関するB証言の要旨は、以上のとおりである。

五  B証言の信用性について

1 Bの前記証言内容は、具体的かつ詳細であって迫真性がある。そして、B証言は、次のような関係者の供述とも符合している。すなわち、平成元年八月一一日の「千代新」の大臣就任祝いの宴席について、同席したHは、被告人が「Bさんには世話になったなあ、おれも大臣になったからには共和のために全力でやるよ。」などとBに語っていたのを聞いたと証言している。また、その直後の「まん賀ん」における宴席についても、Hは、Bから指示されていったん席を外し、部屋に戻ったところ、被告人が帰ろうとしていたところであり、Bが被告人に対して「高規格道路の件、ちゃんとお願いしますよ。」と言い、被告人が、「分かった。」などと答えて席を立ったと証言し、その情景を特に鮮明に覚えているとしている。また、前北海道開発庁地政課長澤山民の検察官調書によれば、大臣就任後の同年八月中旬から下旬にかけてのころ、同地政課長が大臣である被告人に、高規格幹線道路についての平成二年度予算における新規要求箇所など地政課の所管事項を説明した際、函館・茂辺地間について新規に事業化を要求する旨を説明したところ、被告人から「その先はどうなっているのか。」などと尋ねられたというのであり、被告人が当時函館・江差自動車道路の茂辺地以降の通過場所について関心を持っていたことを示している。さらに、ホワイトドーム建設の関係について、M、L、Gは、Bが証言するような経緯により第一コーポレーションが計画に関与するに至ったことや、平成元年一〇月上旬の「川崎」における会合で、被告人のほか、K、L、Mの第一コーポレーション側とB、Gの共和側が一堂に会し、その場で被告人がK社長に対して北海道開発庁としてホワイトドーム建設を全面的に支援すること、インフラ整備にも力を入れることをそれぞれ約束したこと、同月中旬の「川崎」における会合で、Bが被告人に対し、ホワイトドームの建設予定地、規模、予算等を尋ねたり、第三セクター参加の力添えを依頼したこと、それに応じて、被告人が建設予定地が分かり次第教えるなどと返答したことなどについておおむね一致して証言している。B証言は、以上のような関係者の供述にも符合し、これらの供述と比較対照しても、特に不自然な点や不合理な点は見当たらない。

2 そればかりか、被告人に請託をしたとするB証言の信用性は、〈証拠略〉によって認められる、請託の趣旨に沿うとみられる被告人の次のような行為により裏付けられている。すなわち、被告人は、平成元年一一月ころ、北海道開発庁長官室において、GとLを北海道開発庁計画監理官Nに引き合わせる一方、その前後のころ、同長官室において、同計画監理官と総務監理官Oに対し、ホワイトドームについて北海道開発庁として何か支援できることがないかなどと質問して、ホワイトドーム建設に積極的な関心を示した。同年一二月中旬ころには、Bの設定により北海道開発庁において元プロ野球選手P、Qと対談をしたが、その記事が北海道新聞に掲載され、被告人が国としてもホワイトドーム建設を可能な限り支援する考えを示したと報じられている。同月一八日、ホワイトドーム建設推進会議事務局のある札幌商工会議所に出向き、同推進会議常任理事として事務局の総括責任者の立場にある同会議所専務理事Rに対し、ホワイトドーム建設事業の進ちょく状況や建設予定地を尋ねた上、北海道開発庁としても建設に是非協力したいので、何か要望事項があれば申し出るようにと述べたほか、ドーム周辺の開発整備について協力したいという者がいるので、いずれ紹介する旨を伝えた。そして、同月二四日Rが上京した際、北海道開発庁長官室において、共和と第一コーポレーションの関係者をRに引き合わせた。また、平成二年一月九日、Jに指示して共和の会社の概要をRに対して説明させ、同月一一日、JとともにRを訪問し、北海道開発庁としてホワイトドーム建設に全面的に協力することを重ねて約束した上、第一コーポレーションが第三セクターに参加でき、共和も鉄骨関連工事を受注できるように依頼し、その際、Rにホワイトムドームの建設予定地が決定したかどうかを尋ねた。北海道開発庁長官を退任する直前の同年二月二六日ころ、北海道開発庁と北東公庫の幹部職員を招いた「川崎」における慰労会の席上、Bを後援会幹部として列席者に紹介した上、北東公庫総裁らに引き合わせた。北海道開発庁長官を退任した後である同年三月三〇日、JとともにRを訪ね、重ねてホワイトドームの建設予定地が決定したかどうかを尋ねたほか、後任長官にホワイトドームの件を引き継ぎ、後任長官もできる限り協力すると約束した旨を述べ、上京の際には第一コーポレーションや共和と連絡を取ってほしいなどと話した。以上の事実は、高規格道路、ホワイトドーム、北東公庫の件について、被告人に請託をしたとするB証言を裏付けるものということができる。

六  B証言の信用性に関する弁護人の主張に対する判断

1 弁護人は、寿楽園を視察した平成元年六月一四日の道順について、真実は、Bらは先に上磯町役場を訪問してその後寿楽園を視察したのに、Bが寿楽園を先に訪問したと証言し(第一一回公判)、弁護人の請求により再度証言した際にもその証言を維持した(第四一回公判)として、B証言は信用できないと主張する。たしかに、Jが共和開発部長にあてた報告書(甲書一五四中の二)等の前掲証拠によれば、弁護人が指摘するように、Bらが先に上磯町役場を訪問したとみるのがむしろ自然であるように思われ、この点は事実に反する疑いがある。しかし、そうであるからといって、Bがあえて記憶に反する証言をしたとみるべき事情はないのであるから、この点は、Bの記憶の混乱によるものというほかなく、証言全体の信用性に影響を及ぼすとはいえない。また、Bは、同年七月初旬ころA事務所で前記のとおり道路の名称や路線について被告人から説明を受けた際の状況について、被告人が間仕切りの壁につるされていた学校教材用のような北海道三区の地図を指さしながら路線の概要等を説明したと証言しているところ、弁護人は、その点をとらえて、A事務所の間仕切りの壁にはってあった地図は、函館から江差までの高規格幹線道路の路線を示した地図であり、そこに示された路線の記載とB証言が符合しないとして、B証言の信用性を攻撃する。関係証拠によれば、たしかに、弁護人が指摘するように、A事務所の間仕切りの壁に貼ってあったのは、学校教材用のような北海道三区の地図ではなく、「ランド北海道NOW」との表題で高規格幹線道路の路線の概要を破線で表示した北海道全図(弁第六六号証と同様のもの)であり、また、その客観的な記載内容とその記載内容に関するB証言とが一部食い違うなどしていることは否定できない。しかし、このような点に誤りがあるとしても、前同様にBがあえて虚偽の証言をしたとみることはできず、被告人に請託をしたとするB証言の基本的な部分の信用性を損なうものとはいえない。弁護人は、さらに、高規格道路の件について、長さ四キロメートル、幅一〇〇メートルにわたる土地を国に転売し、約一億二〇〇〇万円の差益を得るつもりであったとするB証言をとらえて、非現実的であり信用できないと論難する。しかし、その証言部分は、現実に存在した具体的な買収計画を述べたものではなく、転売益を計算するための目安として前記のような数字を挙げたと認めるべきであり、弁護人が指摘するように長さ四キロメートルの買収が寿楽園周辺の地形からみて非現実的であるとしても、B証言が信用できないものではない。

2 弁護人は、高規格道路の件について、次の事情からすれば、Bが新設予定箇所に関する情報提供を請託することはあり得ないと主張する。すなわち、(一) 茂辺地・木古内間に位置するトラピスト修道院が敷地内の通過に強く反対していたため、被告人の長官在任中に寿楽園周辺のルートが決定される見込みはなく、Bもそのことを知っていた、(二) ゴルフ場開発については、地元自治体との事前協議が必要であるが、地元自治体は、その過程でゴルフ場用地が高規格幹線道路予定地に抵触することを知り、ゴルフ場開発に必要な許認可の申請を受理しない措置をとるはずであるから、高規格幹線道路予定地をゴルフ場用地として買収することは実際上不可能である、(三) 請託があったとされる当時は、共和は木古内町のリゾート開発に力を入れ、上磯町リゾート総合開発事業を凍結していた、というのである。

(一)については、前北海道開発局建設部道路計画課長新山惇の証言等の前掲証拠によれば、トラピスト修道院側が騒音等を理由として高規格幹線道路の敷地内通過に難色を示し、平成元年四月同修道院大院長名により北海道開発局函館開発建設部長あてに修道院の敷地をう回する対策を求める要望書を提出するなどの働き掛けをしていたことが認められ、交渉が容易でない状況にあったことは否定できない。しかし、函館開発建設部が、同年一一月ころ修道院の敷地内において騒音等周辺環境に及ぼす影響の調査を行い、その調査結果に基づいて修道院側と協議を行うなど、修道院側と函館開発建設部との間において、妥協点を見出し、早期解決を図るための交渉が継続中であったことは証拠上明らかであるから、被告人の長官在任中に北海道開発局内において、寿楽園周辺のルートが事実上内定される可能性がなかったわけではなく、Bがルートについての情報提供を請託することが不合理な状況にあったとはいえない。

(二)については、上磯町企画調整課長小野建夫の証言によれば、ゴルフ場用地が高規格幹線道路等の公共事業予定地と抵触する場合には、ゴルフ場開発業者の側に一方的に計画の変更を求めるわけではなく、開発業者に対して北海道開発局など公共事業の事業者との協議により調整するよう指導することになるというのである。そうすると、ゴルフ場開発業者側において高規格幹線道路予定地と抵触するゴルフ場用地部分を国に売却することに同意しているのであれば、格別の問題を生じることはなく、それこそまさにBの企図するところであるから、ゴルフ場開発に必要な許認可の申請が常に不受理となるとは考えられず、ゴルフ場用地として買収することが不可能であるとはいえない。また、もともとBは、北海道開発庁長官の地位にある被告人の種々の影響力に期待してゴルフ場開発事業を展開しようとしていたのであるから、このような問題を意に介していなかったとしても、不自然とはいえない。

(三)については、前木古内町長愛澤勝男の証言等の前掲証拠によれば、共和が、平成元年九月ころ上磯郡木古内町側の要請を受け、木古内町において、通称幸連牧場周辺にゴルフ場、スキー場、ホテル等を建設するといういわゆる木古内町リゾート総合開発計画を具体化させ、同年一一月末には木古内町とともに第三セクターを設立する旨の基本的な合意に達するなど計画を着々と進めていたことが認められる。しかし、一方、上磯町においても、Jを中心として、平成元年中はゴルフ場用地を取得する準備として地積図を作成したり、登記簿謄本を入手して地権者を調査するなどし、平成二年五月ころからはゴルフ場予定地を四ブロックに分けて各担当者を決め、ゴルフ場開発に関する地権者の同意書を取りまとめる作業に従事し、同年六月には寿楽園改修工事の起工式を挙行するなどしており、その間、同年二月施行の総選挙に出馬した被告人の選挙応援や前記木古内町リゾート総合開発計画に人手を取られるなどしたため、幾分遅れたものの、上磯町リゾート総合開発を並行して進行させていたことは証拠上明らかであり、これを凍結した形跡はない。

したがって、弁護人の前記(一)から(三)までの主張については、いずれもその前提となる事情の存在を認めることはできない。

3 弁護人は、ホワイトドーム建設の件について、被告人の北海道開発庁長官在任中に、ホワイトドーム建設の事業主体となる第三セクターが設立されたり、建設場所が決定される見込みはなかったから、Bがホワイトドーム建設計画について前記のような情報提供を請託することはあり得ないと主張する。しかし、Bとしては、札幌市等の内部においてホワイトドームの建設場所が事実上内定した段階においてその情報の提供を受け、また、同市や札幌商工会議所等が第三セクターの出資企業を選定する以前の段階において第一コーポレーションを出資企業とするあっ旋紹介を受けることがそのねらいであるから、たとえ、被告人の北海道開発庁長官在任中に第三セクターが設立されたり、あるいは建設場所の正式決定がなされる見込みがないとしても、そのためにB証言が信用できないとはいえない。そればかりか、札幌市企画調整局企画部ドーム構想主幹(事件当時)伊藤順一の証言等によれば、前記ホワイトドーム推進会議は、平成元年秋ころの時点では建設場所の内定を前提とした最終的な提案書を平成二年春ころに発表する予定であったことが認められ、建設場所の決定は間近とみられる状況にあったことがうかがわれる。また、伊藤証言のほか、北海道開発庁企画室開発専門官松本政美の証言等によれば、札幌市のホワイトドーム担当者は、平成元年五月ころ北海道開発庁に対して平成二年度中にホワイトドーム建設に着工するか、少なくとも同年度中に第三セクターを設立する旨を説明していたというのであり、そのことは、平成二年度の開発計画の重点方針を示すとともに、同年度の予算要求の基礎ともなる「平成二年度の北海道総合開発の推進方針」(平成元年八月作成、平成四年押第八五四号の五)に、ホワイトドーム建設の推進がうたわれていることからも明らかである。したがって、長官在任中に第三セクターが設立され、又は建設場所が決定される見込みはなかったとはいえず、弁護人の主張は、いずれにしても理由がない。

4 以上のほか、弁護人は、被告人に請託したとするB証言が不合理であるとして種々指摘しているが、いずれの点もB証言の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。

七  結論

以上のとおりであるから、B証言の信用性は高く、このB証言によれば、被告人がBから犯罪事実記載のとおりの請託を受けたことは明らかである。

(法令の適用)

罰条      いずれも刑法一九七条一項後段(第二の一は包括一罪)

併合罪加重   刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い第二の一の罪の刑に加重)

追徴      刑法一九七条の五後段

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

一  本件は、北海道開発庁長官である被告人が、鉄骨製造等を営む共和の取締役副社長Bから同庁の未公開情報を提供することなど職務に関する具体的な請託を受けて、合計九〇〇〇万円の賄賂を収受したという事案である。北海道開発行政はもとより、行政と政治全般に対する国民の信頼を著しく失墜させ、過去の同種事犯により国民の間に徐々に醸成されつつあった政治不信に一層の拍車をかけた重大な犯行といわなければならない。

二  被告人は、北海道開発庁の最高責任者として北海道開発行政を公正に推進すべき職責にあり、自ら襟を正して同庁職員らの模範となるべき立場にありながら、選挙区の事務所維持費や過去の選挙のための借金返済等の資金に窮する余り、Bから請託がなされると、ためらいもなくこれに応じて、見返りに繰り返し多額の現金を受け取ったのである。自己の職責に対する自覚を著しく欠いているというほかなく、犯行の動機に酌量すべき点はない。収受した賄賂は高額であり、しかもそのうち六〇〇〇万円(犯罪事実第二の一)については、被告人が事務所経費や借金等の一覧表を渡して自ら積極的にBに資金援助を要請し、その後の一〇〇〇万円(同第二の二)についても、マンションの内装工事代金等としてその供与を要求したものであり、犯行の態様自体甚だ悪質である。函館・江差自動車道の上磯町周辺におけるルート選定作業やホワイトドーム建設事業が進展しないうちに共和が倒産したため、請託された行為が実現されることはなかったものの、被告人は、現金供与と引換えにBに促されるまま、ホワイトドームの建設予定場所を推進会議常任理事に尋ねたり、同理事に共和関係者らを紹介するなどして、請託の趣旨に沿った行動に出ている。共和との関係を見ると、被告人は、大臣就任のための運動費や個人的な飲食費を共和に負担させ、私設秘書や運転手を共和の社員としたり、本件直後に施行された選挙の際には企業ぐるみで共和の応援を仰ぐなどしている。本件犯行はそのような状況下のものであり、被告人と共和とのゆ着ぶりは常軌を逸しているといわざるを得ない。しかも、被告人は、現金を受け取った事実は認めているが、その趣旨を一貫して否認し、自己の刑事責任を免れるための弁解に終始するばかりであって、真に反省している様子がうかがわれない。

三  他方、被告人は、函館市議会議員、北海道議会議員等を経て、昭和四四年一二月北海道第三区から立候補して衆議院議員に初当選し、一回落選した後、昭和五一年一二月から平成二年二月まで六期連続して当選している。その間、北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官以外にも、北海道開発政務次官、衆議院農林水産委員長、同文教委員長等を歴任し、所属する自由民主党においては広報委員長、総務会長代理のほか、派閥の事務総長等の要職を務め、その地位に相応した社会的な貢献を果たし、地元の漁港建設に尽力するなど選挙区住民のためにも有為な働きをしている。そして、本件犯行が発覚した後は、総選挙に立候補することを断念するなど相当の社会的な制裁を受けている。また、本件で収受した現金については、これにより私財を蓄積するなどした形跡がない上、起訴後共和管財人の請求に応じてこれを含む合計一億六三六〇万円を任意に返済することにより、共和側から得た利得を全面的に返還している。

四  このようなしん酌すべき事情も認められるが、これらの諸事情を考慮しても、被告人の刑事責任は重いというほかなく、主文のとおりの実刑に処するのが相当である。

(裁判長裁判官山田利夫 裁判官三好幹夫 裁判官小森田恵樹は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官山田利夫)

別表〈省略〉

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